カタユリ日記

思ったことをそのまま書きます。ツイッターより長い文章はこちらに。

後輩と『鈴木先生』

鈴木先生』という漫画、個人的には面白かったんだけど、以前後輩に見せたら「登場人物がグダグダ悩み過ぎっすよ」と言われ、「合わない」とすぐ返されてしまった。
確かにその通りではあるんだが、あれは主人公の鈴木先生自身が作中で述べていたように一定の思想の軸を持っていない人間だからだろう。

思想の軸がないからこそ、その場その時の状況に合わせて様々な可能性を勘案し、最善だと思われる行動を採っていく。
それが鈴木先生の特徴であり、漫画のキモでもあったはずだ。

しかし、その後輩は特定の思想を信奉していて、「死ぬまでこの思想を守って生きていく」と宣言してさえいた。
そういう人間にとってみれば、鈴木先生の行動はナヨナヨした思考・行動に見えるのであろう。実際作中内でも、彼の行動は常に余裕がなく、周りの人間に振り回されてばかりなのだから…

けれど、『鈴木先生』という漫画が伝えたいのは「思想を持ち合わせていない人間は振り回されてばかり」ということなのだろうか。
むしろ、後輩の様な既に固まった思想を持ち合わせていない人間(読者)に対して、「こういう生き方もある」と教えているのではなかろうか。
今まで普通に生きてきて、いきなり「○○主義的に生きる」なんてことは無理だ。けれど、「その時その時に一番良いと思われることを考えながら行動する」ことは、難しい事ではあれ、決して不可能ではないはずだ。
鈴木先生が作中の様々な人物と掛け合いをすることを通して伝えているのはこうしたことであると、自分は思っている。

話を最初に戻すと、『鈴木先生』という漫画は曖昧な言い方になるが「思想を信奉していない世間一般的な人間」を想定しており、だから既に思想的に生きると心を決めていた後輩は、その漫画に対して反感を持ったのだろうと感じた。
ただ、後輩がそのことを言うことによって上記の内容が浮き彫りになったのは有益なことだったろうとも思う。