カタユリ日記

思ったことをそのまま書きます。ツイッターより長い文章はこちらに。

迷惑をかけたくない人

唐突だが、「人に迷惑をかけたくない」と言う人は好きじゃない。

その言葉は、その人の「自分の行動で相手に良い影響を与えることが出来る」という思考が透けて見えてしまうからだ。

(余談だが、その台詞から「自分の行動が他者の迷惑になってしまう」と思っている可能性もあるので、その人の自尊心の低さも垣間見える…)


はっきり言って、迷惑に思うかどうか、もっと言えば自分に好意を持ってくれるかどうかも、自分ではなくて相手が判断することだ。
基本的に自分は「私はこういう人間です」としか言えないのだ。

それを聞いて好意を持てばお互いに近寄っていけば良いし、無理ならば距離を置いて付き合うか、最悪縁を切るしかない。

嫌な例えだが、就活での面接みたいなものだ。

受験者が面接官に「私はこういう人間です」ということをアピールし、受け入れられたら採用(お近づき)、受け入れられないならば不採用(距離を置かれる)。

ただこれでしかない。自分の側からは相手に自分の事を無理やり好きにならせることは出来ないのだ。

(ただし面接とは違って、相手が自分を判断するように、自分も相手を判断することが出来る。)


別に相手に気を遣うこと自体は悪い事ではない、しかしそれはお互いの気心が分かってからだ。

気心が分かってからなら、自分の側からの気遣いが相手の意に適う確率が高まるし、相手からも「今までの付き合いで自分をちゃんと見てくれたんだ」と思えるだろう。


「人に迷惑を~」と言う人の気遣いは大抵順序が逆で、まだ気心を知れていない間に勝手に色んな事をしようとするからいけない。

例えその気遣いが相手の好むものであっても、まだ分からない相手に私的領域に踏み込まれたりして、良い気持ちはしないはずだ。

まずは自分の事を伝え、同時に相手の事を知る。距離を近づけるのはそれからでいい。

相手に「忖度」して気を遣いすぎても、余計に関係をこじらせるだけだ…

後輩と『鈴木先生』

鈴木先生』という漫画、個人的には面白かったんだけど、以前後輩に見せたら「登場人物がグダグダ悩み過ぎっすよ」と言われ、「合わない」とすぐ返されてしまった。
確かにその通りではあるんだが、あれは主人公の鈴木先生自身が作中で述べていたように一定の思想の軸を持っていない人間だからだろう。

思想の軸がないからこそ、その場その時の状況に合わせて様々な可能性を勘案し、最善だと思われる行動を採っていく。
それが鈴木先生の特徴であり、漫画のキモでもあったはずだ。

しかし、その後輩は特定の思想を信奉していて、「死ぬまでこの思想を守って生きていく」と宣言してさえいた。
そういう人間にとってみれば、鈴木先生の行動はナヨナヨした思考・行動に見えるのであろう。実際作中内でも、彼の行動は常に余裕がなく、周りの人間に振り回されてばかりなのだから…

けれど、『鈴木先生』という漫画が伝えたいのは「思想を持ち合わせていない人間は振り回されてばかり」ということなのだろうか。
むしろ、後輩の様な既に固まった思想を持ち合わせていない人間(読者)に対して、「こういう生き方もある」と教えているのではなかろうか。
今まで普通に生きてきて、いきなり「○○主義的に生きる」なんてことは無理だ。けれど、「その時その時に一番良いと思われることを考えながら行動する」ことは、難しい事ではあれ、決して不可能ではないはずだ。
鈴木先生が作中の様々な人物と掛け合いをすることを通して伝えているのはこうしたことであると、自分は思っている。

話を最初に戻すと、『鈴木先生』という漫画は曖昧な言い方になるが「思想を信奉していない世間一般的な人間」を想定しており、だから既に思想的に生きると心を決めていた後輩は、その漫画に対して反感を持ったのだろうと感じた。
ただ、後輩がそのことを言うことによって上記の内容が浮き彫りになったのは有益なことだったろうとも思う。

ブログを始めました。

こんにちは、カタユリと申します。

内容としては表題のとおりです。

ツイッターの方をやっていますが、時々発作が起こって長文を連投するという行為を行っていたので、そういった文章はこちらに移行していこうかなと思い立ち、始めさせていただきました。

ただ今後続くかどうかは自分の気分次第です。面白いと思ったら書き続けるでしょうし、飽きたら書かないでしょう。

それについては今後様子を見て…という感じでしょうね。

 

グダグダと書きました。恐らくこんな感じで記事を書いていく事だろうと思われます。

気楽に見たり見なかったりして下さいね。

 

それでは宜しくお願い致します。